2009年2月20日金曜日

ロベール・ミュシャンブレッド『近代人の誕生』

ロベール・ミュシャンブレッド著、石井洋二郎訳近代人の誕生 フランス民衆社会と習俗の文明化を読んでいる。比較的分かりやすい言葉遣いで、なんとか一日一章~二章のペースで進める。

先週までちまりちまりとディスタンクシオンⅠ(ピエール・ブルデュー著、石井訳)を読んでいたのだが、これは諦めた。具体的な分析の記述はまだしも理解できるのだが、抽象的な話題に入るとやはり難解。差異と欲望 ブルデュー『ディスタンクシオン』を読む(石井著)で満足したことにしてしまおう…

ともあれ、訳者の石井氏も述べているとおり、『近代人の誕生』には、『ディスタンクシオン』に通ずる用語が頻繁に登場するし、ブルデューが使用した概念としての「ディスタンクシオン」(Distinction)を用いて解釈可能な部分も頻出する。

どちらの研究でも、主な分析対象は「教養」とか「文化」とか呼ばれるもの(Culture)の空間の階層構造と、諸資本(経済資本・文化資本・人間関係資本など)にもとづく社会的ヒエラルキーの関係性であるから、当然と言えば当然なのだが。

もっとも、『近代人の誕生』では、後者の分析で「資本」概念は用いられていないし、〈教養=文化〉の〈差異化=卓越化〉の要因についての掘り下げも少々甘いように感じる。

また著者(ミュシャンブレッド)は、アンシャン・レジーム下の民衆の習俗の分析にあたって、しばしばフロイトの研究について言及するのだが、これがどうにも納得がいかない。こちらがフロイトの用語をほとんど理解していないことも要因として大きいのだろうけれども(そして僕には人間の“精神”というのは結局“ブラックボックス”でしかなく、よりよい解釈装置のようなものが見いだされることはあるとしても、その一般性はきわめて疑わしいものなのではないか、と考えている)、しかしそもそも習俗の差異化という現象について説明する際に、フロイトまで持ち出す理由がないような気がして仕方がない、というのが一番大きい。

Powered by ScribeFire.

0 件のコメント: