2008年8月28日木曜日

『闇の子供たち』読了

東南アジアにおける児童売買,売買春,臓器売買(もちろん子供たち自身はこれらの経済の主体として存在できない)の解決にとりくむ,現地のNGOと,海外からこれに参加するボランティアを主人公とするお話.

8歳前後で売られ/買われ,監禁され,「訓練」を受け,売春をさせらて,エイズやその他の病気,暴行で死亡すれば文字通り,ゴミ処理場に捨てられる子供たち.こうした子供たちを保護しようと活動する人びとは,マフィアどころか,警察や軍の暴力の標的となる.

あまりにも救いのない世界.

児童売買春の問題にかぎらず,労働問題,人権問題,環境問題,さまざまな「救いのない」問題は,いつも僕たちの生活──社会・経済──と表裏をなすものなのに,そうした問題はますます僕たちのもとから,地図のうえでも,意識のうえでも,遠ざかっていく….僕たちは,何のために学校で「公害」だとか「貧困」だとかいう言葉を,いったい何のために勉強しているのだろうか? 中国のことでも,同じことを考えさせられる.

「国」は閉じた社会ではない.国と国との間で,人も金も物も動く.世界は,地続きのひとつの「場」である.なるほど,それは平坦に統合されている「場」ではない.ある国/地域にはその地域ごとに政府があり自治体があり,企業があり,マフィアがあり,NGOがあり,それらが互いに関わり合い,もがき合う「場」が存在する.そしてそうした小さな(?)「場」は,より大きな「場」を構成する.北側の資本と権力は,南側の「商品」を買いあさり,それが「商品」の生産を刺激する.北側が廃棄物を捨てる場所を求め,南側が「処理場」──貧弱な環境規制──を提供する.

最悪である.むろん自分自身をもふくめて…

2008年8月26日火曜日

リキッドレイアウトとFlash

最近,ウェブサイト管理のボランティアをしているNGOの国際事務局サイトは,日本支部サイトをリニューアルする際にいろいろ参考にしたのだけれど,とりわけ注目したのが,リキッドレイアウトでありながらも決まった幅を維持すべきところはブラウザのウィンドウサイズを変化させてもそのまま,というもの.

これはCSSによるウェブサイト・デザインの専門の人びとのなかでは,それほど目新しいものではないのかも知れないが,ともかく勉強になった(本屋で立ち読みしたり買ったりした本にはこの手のギミックは載っていなかった).

もっともこのレイアウト法は,どうやらクリアフィックス(clearfix.CSSハックのひとつ)なしでは,ときたまIEで表示が崩れる問題があるのでは,という推測もある.しかし定かでない.何しろ,IEで何か問題が起きても,そもそも理由を知るすべがあまりないのである(IEはその標準準拠度よりも,開発者向けの「裏が見え理由が分かる」ツールの存在しないことにより,自らの地位を落としているように見える.したがってまた一般的なPCユーザにおけるIE離れという現象はあまり考えられない).

ところが最近,このウェブサイトのホームページに,大きなFlashが配置された.この状態でブラウザのウィンドウのサイズを狭めると,Flashの堅く,しかも悪いことには要素の下に隠せない,というどうしようもない性質のために,このNGOへの寄付やキャンペーンへの参加を呼びかける部分──このページでは2番目に目立つ部分──がみるみるうちに隠れていく.

「隠せない」Flashの恐ろしさを再確認するとともに,なぜこの程度のスライドを表示するために,Flashを使用したのか,という疑問がわく.JavaScript(とそれが通用しないブラウザにはGIFアニメもしくは静止画で対応)で十分ではないか,と….

2008年8月24日日曜日

Thunderbirdの「アドレス帳」


Mozilla Messaging :: Second Alpha of Next version of Thunderbird available
"A new early version of next version of Thunderbird is ready for testing."
Thunderbird3.0a2pre - hogehoge
"POP3とかIMAPアカウントの受信パスワードと思われる文字列が丸見えである。gMsgFolderSelected.server.password*1に何も暗号化されていない文字列が...

大丈夫なのかなぁ。"
Firefoxに比べてThunderbirdに関する話題を載せているサイトはほんとうに少ないな…。やはりWebメールの高機能化、というのは大きいのか。
そういう僕もThunderbirdにいったい何を期待しているのだろうか…Thunderbird3の登場を待ち望んでいるのはたしかなのだけれども。

使用しているすべてのメールアカウントは、結局すべてGmailに集めているし、送受信もすべてFirefoxでGmailの画面内で済ませている。
学習型迷惑メール・フィルタはすばらしい機能で、とくに純然たるスパムやウィルスメールをGmailで排除して、残った広告メールをThunderbirdのフィルタでろ過して…、というのはなかなかよかった。

しかしメインに使用するPCが、デスクトップからラップトップへ、ラップトップからデスクトップへ、そこからまたラップトップへ、と移行を繰り返すうち、結局Thunderbirdは取り残されてしまい、たぶん今うちのデスクトップに入っているのはバージョン1.5と2.0のベータ版のハズ…。

それでも何度かThunderbird復活の試みは行われたのだが、そのたびに問題になったのが、このメーラの「アドレス帳」にはメール・アドレスがたった2つしか登録できないこと。極めて些末なことだが、現にGmailの「連絡先」には3つや4つのメールアドレスを登録している相手もおり、そうである以上Thunderbirdへの移行は論外となってしまう。個人的にはThunderbird最悪のバグの1つである。

それからまたメール作成画面の「To」欄に入力補完機能があるが、これがまた問題。日本語変換→確定のために[Enter]とやると、入力補完の選択確定と勘違いされてしまうのである。1文字や2文字が同じ人はいるし、それに先にも述べたとおり、ひとりで複数のアドレスを持っている人も当然いる。この[Enter]キーの勘違いも、最悪のバグの1つ。

この手のバグは、Linuxのソースコード・エディタBluefishでも起きて、こちらでは変換確定の[Enter]キーを改行と勘違いして、自動インデント機能が働いて、結局変換確定した部分の直後に、Tab文字なりSpaceなりがたくさん入力されてしまう。

こうしたバグを避けるために、確定にはわざわざ別のキーを使う、などというやり方が自分にはどうにも我慢ができない…。

2008年8月23日土曜日

イザベラ・バードの日本紀行

ここのところ生来の怠け癖を最大限に発揮してちっとも読書は進んでいなかった。
イザベラ・バードの日本紀行』(イザベラ・バード著、時岡敬子訳 講談社学術文庫)は、ともかく目的の箇所はだいたい読み終えた。
明治7年、日本国内、おもに東北~北海道を旅したイギリスの旅行作家による紀行文。

不思議な本であった。もっとも、外国人の手になるそれはもちろん、そもそも紀行文という種類のものがはじめてであった。

自分自身が「昔」のことなどさっぱり分かっていないので、著者の見聞きしたことに感心することもあり、疑問に思うこともあり(これは著者の勘違いでは、とか)。

少なくとも僕が読んだ箇所については、全体として、しばしば「日本」や「蝦夷」(蝦夷地)には宗教がないという表現が目立つ。仏教の念仏も、アイヌのカムイノミも、彼女に言わせれば「宗教」ではない。迷信に沈み込んだこの島国で、医療伝道団が西洋の「科学」と「宗教」をとく。

アイヌ民族に対する評価は、「和人」に対するそれより明らかに良いものであるが、そうであっても彼女は、アイヌの人びとが「進化論」的に滅ぶよりほかないと確信している。

心地よい気候、天候、風景、不調和なのは「アイヌ──これまでかくも多くの名もない被征服民族を受け入れてきた、あの広大な墓場へと身を沈めつつある、進歩の余地のない無害な人々──の光景」(『イザベラ・バードの日本紀行(下)』pp.71)。

何と不愉快な審判だろうか。もちろん通詞として雇われ同道している伊藤の「アイヌに丁重な態度をとは! 人間じゃなくて犬にすぎないのに」(同書、pp.73)という、レイシズムとは異なる「態度」ではある。

平取のコタン(村落)では、しきりに「自分たちの風習について話を聞いたことは日本の役人には黙っていてほしい」と懇願されている。すでにいわゆる「同化政策」の影響が現れているともいえるだろうし、といってこのころはまだ「黙っていてほしい」ということで済んでいた、ということもいえるだろう。

函館から太平洋岸の平取までの、和人・アイヌのさまざまな生活が描かれている。コタンの住人のことばや祈りのなかに感心させられるものが多々あった。
かくもやさしく、伝承のなかの祖先や英雄を尊敬し、旅人をコタンにある限りの物資で──それがなくなれば遠方から調達してまで──歓待する人びとに、冷徹なダーウィニズムを適用することがどうしてできよう。

また以前別の文書──おそらく小川正人氏の論文──の中でも、この箇所を引用しているものがあったが、「楽器には三弦か五弦のギターのようなものがあり、弦は岸に打ち上げられた鯨の腱でつくります」(同書、pp.133)という記述がある。平取のコタンでの文章であるから、もしこの楽器をバード自身がその目で見たということになると、これはどういうことになるだろう…。この楽器が樺太アイヌの弦楽器トンコリだとすれば、アイヌ同士の交換々々よって太平洋岸にまできた、ということになるのか。

勝手にショートカットを作る不埒なアプリ

もちろんこの手のものは昔からあるのだけれど、インストール後のみならずアップグレード後にも、デスクトップや「クイック起動」スペースにショートカットを勝手に作成するアプリには、本当にいらいらする。

Justsystemsにいたっては、アプリケーション本体へのショートカットですらなく、「ATOK最新情報へ」と「JSユーザー登録・確認」というのを残していった。もちろん、初回インストールなどではなくアップグレードなのだし、ユーザー登録も済んでいる。
Operaはいつものように、「クイック起動」にもしっかりショートカットを作成してインストール・プログラムが終了した。

よいアプリを開発していることは認めるけれども、マナーが最悪である。

さらに悪いことに、アプリのインストールは、XPではふつう管理ユーザが行うから、当然ショートカットも管理ユーザ権限で作成され、すべての制限ユーザのデスクトップにもこのショートカットは現れる。管理ユーザが作成したから、制限ユーザには消すことができない。

それでまた、いらいらさせられる…

でも表面に現れるだけマシ、ということもあるらしい…↓
Apple Computer\Installer Cache - えむもじら

どうやら C:\Documents and Settings\All Users\Application Data\Apple Computer\Installer Cache の下に、iTunes、QuickTime、Safari の過去のアップデート時のフルインストーラが全バージョン分保存されているようです。いずれも1バージョン当たり20-30MBもあってばかになりませ ん。こんなのディスクの肥やしでしかないので最新版だけを残して全部削除しました。全部合わせて20個分以上あったので500MBくらいの削減になったはずです。

Xubuntu8.04をインストール。しかしスクリーンショットが…

いつも使っているノートPCはハードディスクが30GB。
パーティションを分けて、WindowsとLinuxをデュアルブートで同居させていますが、最近そのWindowsの方に大型のソフトを導入したり、某CMSのローカル・テスト環境(当然多数のファイルからなる)を保存したり、いろいろやっていたらパーティションの容量の限界に近づいてきました。

そういうわけで、パーティションを切り直し、Windowsのパーティションを大きくすることにしました。LinuxはopenSUSEが入っていましたが、手元にあるLinuxのうちで、起動や、インストールにかかる時間、インストーラがスワップ・パーティションを使ってしまわない(Windowsのパーティションと隣接しているこの区画を使われてしまうと、パーティションのサイズ変更ができない)、という点で一番確実そうなXubuntuに入れ替えることに。

Xubuntuのインストール・プロセスで、パーティションを編集し、既存のWindows用パーティションを後方に2GB程度大きくしました。Xubuntuのインストール終了。PCの再起動後、WindowsXPを起動すると、パーティションの「異常」を検知して、チェックを開始。これが問題なく終わって一息。

しかしXubuntuを使っていると、すこし困ったことが。
初期設定では、(すくなくとも僕の環境では)Print Screenキーで、表示中の画面を撮影することができません…。Xubuntuが採用している統合環境Xfceのパネルに、スクリーンショットを撮影するためのアプレットを出すことはできるのですが、これはいちいちマウスでクリックしないといけないのです。

それだけであれば、ただ面倒というだけですが、問題となったのは、Firfox3のロケーションバー(URLが表示される部分。正式名称を忘れました)の右端のスターをクリックしたときに表示されるブックマーク編集画面を撮影できない、ということでした。あの手の表示物は、画面の他の場所をクリックすると消えてしまいます。よって何としてもキーボードの操作で撮影する必要があるのですが、それができません…。Googleで調べてみると、

xubuntu how to take screenshot ? - Ubuntu Forums
"hello there
my suggestion:

__first of all install 'scrot' package, which is a command line screen capture utility
$sudo aptitude install scrot

__make some dir where you want to store the screenshots as a default option
e.g.
$ mkdir ~/captures

__in XFCE, system settings > keyboard > shortcuts
Add new shortcut;
command: scrot -e 'mv $f ~/captures'
key: Print button"
とあって、この記事にある「scrot」を(この記事ではコマンドラインでインストールしていますが)Synapticで検索し、インストールしました。

Applications>設定>設定マネージャー>キーボード(の設定)

で、ショートカットを追加。
コマンド「/usr/bin/scrot」にPrintScreenキーを対応させました。
しかしこのショートカットでは、普通の画面は撮影できるものの、コンテキストメニューを開いた状態や、ポップアップ・メニューが表示された状態では撮影できないことがわかりました。先のブックマーク編集パネルも、表示中は撮影できません…。
Windowsでもコンテキストメニュー表示中は撮影ができないはずですが、ポップアップまでだめだったかな、と。(こうなったら拡張機能DOM Inspectorで、FirefoxのUIそのものを裏から制御してしまおうかっ、と思って調べて見ましたが、ロケーションバーの部分、とくに右端の部分は完全にブラックボックス状態でいじれませんorz)。

それでまた調べて、

Ubuntu Weekly Recipe:第29回 スクリーンショットを扱う・作業を記録する|gihyo.jp … 技術評論社
"ターミナルや[Alt]+[F2]などから,gnome-screenshot --interactiveとして起動しても同じ効果が得られます。また,コマンドラインから起動する場合,「取得するまでの遅延時間」は--delay=10などとすることで指定することができます(この場合は10秒待ってから撮影します)。"
完全に、GNOME統合環境向けのお話ですが、scrotにもこういうオプションがあるかも→そのオプションもセットしたものをショートカットで登録すれば、キー入力、指定時間内にポップアップメニュー等を表示→撮影!といけるかも、と。

ま、はじめからそうしていればよかったのにね、という話ですが端末で「man scrot」と入力。scrotのオプションを見たら、しっかり遅延設定の項目がありました。
「/usr/bin/scrot -d (遅延時間を秒単位で)」とやればよい。ショートカットで登録して、さっそくテスト。コンテキストメニューやポップアップも、ちゃんと撮影できました(右)。めでたしめでたし。

[追記:でも、残り秒数とか、一体いつ撮影されたのか、ファイル名もわからない…。ここまできたらもうすこしやってしまおう、ということで、上に引用した記事にある、gnome-screenshotを導入することに。

XubuntuはXfceを採用するUbuntuとはいっても、もともとGNOMEアプリが稼働している。その上、標準のテキストエディタであるマウスパッドはあまりにも機能がすくなく、強調表示もできない。それが必要ならEmacsでもインストールしてくれ、ということらしい。しかしそんなクセのありそうなものは使いたくないのでGedit(もちろんGNOME標準のアプリですね)を導入している。

gnome-utilsパッケージを導入して、「gnome-screenshot -d 8」というショートカット・コマンドで登録した。]

2008年8月22日金曜日

Firefoxのタグ・システムについての不満

Firefox3からブックマークの整理方法として新しく導入されたタグ付け機能。すでにソーシャル・ブックマーク・サービスなどの利用者で、ブックマークのタグ付けによる整理術に慣れている人びとにとっては、この新しい機能も便利に使えるのだろう。
フォルダによる整理は、あるブックマークを絶対1つのフォルダに関連付けなくてはいけない。「Web」フォルダにも「Tools(Outils)」フォルダにも入れる、ということはできない。タグによる整理はこの問題を解決している。ブックマークに複数のタグを関連付けて整理し、1つまたは複数のタグと関連付けられたブックマーク、という条件で検索し目的のものにたどり着くことができる。

しかしNetscape時代からフォルダ(と区切り線)による整理に慣れてきた自分にとっては、これはなかなかうまく使えない。
考えてみると、タグ・システムでは、タグ同士が絶対的に対等な関係である。しかしフォルダ・システムでは互いに対等なものもあれば、親子関係にあるものもある。

「環境問題(Ecolo)」というタグと「人権問題(Droits)」というタグをともに1つのブックマークに関連付けられるのは便利である。ところがまた「Firefox」というタグと「拡張機能(Extension)」というタグを1つのブックマークに付ければ、これは明らかに冗長である。(しかもだからといって、「拡張機能」だけ、というわけにはいかない。他のソフトウェアの拡張機能もあるからである)。

結局、タグ・システムは、フォルダ・システムよりも無秩序に、情報を散らかしてしまう。一般に表示の順序を手動で決められないことも問題である。Firefox固有の問題としては、溜め込み、フォルダとタグとによって整理したブックマークをエクスポートしようとしても、エクスポートしたデータからはタグに関する情報が抜け落ちてしまうことである。これは恐ろしい非効率である。

すくなくとも、前述のタグの冗長性、無秩序の問題については、タグ・システムにフォルダ・システムのような親子関係を導入することが解決策になるかもしれない。もっともそれはタグ・システムというより、カテゴリ・システムかも知れないけれど。

2008年8月21日木曜日

Rainbow for Firebug


Rainbow for Firebug
Rainbow for Firebug - javascript syntax highlighting
Rainbow for Firebug :: Firefox Add-ons

Firefoxの開発者向け拡張機能Firebugの、JavaScriptタブの表示に、強調表示機能を加えてくれる拡張機能です。

拡張機能そのものですら今いちその仕組みがわからず…何度も入門マニュアルのようなものは読んでいるのですが、もの覚えが悪いのと、やはりこういうものは「素質」にしろ「訓練」にしろ、何らかの前提となる知識が必要となるものであるらしく…、拡張機能の拡張機能、というのはもうどうなっているのやらさっぱりです。

おもしろそう!というのでインストールしてみましたが、考えてみたら、FirebugのJavaScriptタブをそもそもそんなに使わない… まぁしかしそれだからこそ、いざ使うときになったら見やすいコード表示で役だってくれるでしょう :-)

2008年8月19日火曜日

人の興味とブログの限界

XWIN II Weblog: 「Centrino 2」か「Centrino2」か
Intel社は「Centrino 2」(「Centrino」と「2」の間にスペースあり)と表記しているので、「Centrino 2」が正しい表記だと思うが、ネット上でのニュースはスペースのありなしで二派に分かれている。〔中略〕想像するに「Centrino 2」のブランドロゴを見る限りにおいては、「Centrino」と「2」の間にスペースがないように見えることや、いわゆる丸アール記号が 「Centrino」の右に付記されるため、スペースの存在を見落としやすいことが原因かと思える。だが、プレスリリースをみれば明らかなように 「Centrino 2」という表記が正しいので、Centrino2派は何か強い思い入れのない限りは、商標登録者にあわせた表記でいいのではないだろうか。


ブログというものを(おもに使用法のほうで)今さら勉強中で、気になる記事を次々読んでいる今日この頃であるが、世の中にはすごい人びとがいるものだな、と結構感心してしまう。上に引用した記事もその一つ。この手の、(このブログ自体がそうなのだろうけれど)人の興味の、ブログの、そして情報としての限界かもしくはすでにその外側、というようなのは結構あるもので。

それにしても単に入力が面倒だからとか、そもそもスペースありとなしとで何か違いがあるとは考えていないとか、そういう大いにあり得るケースは考えないのだろうか…。(ま、考えていたら、こんな記事は書けないか。)

2008年8月18日月曜日

Web Developerのこと

Firefox 3 と Web Developer 1.1.5 日本語版 - やっぱりWebが好き+α
Firefox 3 をダウンロードしたらWeb Developer 1.1.5 日本語版が
使えなくなった!とお嘆きの仲間がいたのでお知らせ。


Firefox3対応の日本語版の所在を教えてくれるのかと思いきや、ようするにダウングレードするかさもなくば英語版を使うべしとのこと。
そんな「お知らせ」ってあるのか…。そもそも会話がかみ合わないというものである。

それにしても、Web開発者向け(?)ニュースでは、ほとんど政治的意図すら感じさせる執拗さで繰り返し紹介されているWebDeveloperだけれど、そんなに使えるのだろうか?といつも思う。(ちょっと動作が重たいが)高機能で非常にわかりやすいFirebugと比べて…。
そう思うたびにインストールしてはみるのだが、しばらくすると無効化→またしばらくして削除というふうになってしまう。

しかし前述のニュース上ではあまり触れられない機能として、クリック1つでブラウザのウィンドウを決まったサイズに切り替える「Resize」がある。リキッド・レイアウトのウェブサイトを作成するときには、これはありがたい機能。そして今回はこれだけが目的で久々にこの拡張機能をインストールした。

2008年8月17日日曜日

紛らわしいウェブサイト


ノートPC|PC Online ビジネスパーソンのパソコン活用情報サイト

このサイトは、なんだか、前にもやって来て、見て、呆れてしまった記憶がある。それが明らかに数ヶ月前のこと。そして今もってこの有り様では、一体どういう考えなのか…。

PC OnlineのノートPCページのトップページに表示される、「ノートPC記事一覧」。なんと、中段には、2006年秋冬~2007年春モデルのまとめ、2007年秋冬モデルと2007年夏モデル、というのが堂々と陳列されている。

デスクトップPCのページの同様の箇所は、さすがにもう一段は下に移動しているものの、同じように2年前の情報が存在感を示している。

昔は(今もそういう店があるのかも知れないが)、商店街にはしなびて半ば腐ったような野菜を平気で並べて売っているような店があったというけれども、その類だろうか。

これでは、「速報」も、「トレンド」もあったものではない。もちろんサイトの信頼もなにもない。他人の振り見て我が振り直せ、か。しかし、それにしてもちょっとひどすぎる。そして紛らわしすぎる。

2008年8月16日土曜日

Firefox3のレンダリングとCSSの関係

使用しながらうすうす勘付いてはいたのですが、Firefox3のウェブページのレンダリング(描画)は、Firefox2と微妙に異なるようです。
レンダリングやCSSについての設定は、「about:config」による変更も行っていないはずなので、これはデフォルトの差異と思います。

描画タイミング

Firefox2では、HTMLファイルが読み込まれると、このHTML内で指定されたCSSがサーバにリクエストされ、レスポンスでCSSが返され、これの解析が終わった段階で、ページの描画が行われていたように思います。内部的なことはわからないので、あくまでも「感じ」ですが。もちろんその後、JavaScriptなどによってHTMLやCSSの内容が変化すると再描画が行われます。

しかしFirefox3では、より早い段階でHTMLに対してCSSが適用されているようです。ページにもよりますが、レンダリングがページの上から下へ、順次行われていくような感じもあります。

LINK要素の扱いの変化

FirebugのHTMLパネルで見るかぎり、Firefox2ではBODY要素内に記述したLINK要素(外部CSSファイルの関連づけ)も、メモリーに読み込まれたHTML(DOM)上では、自動的にHEAD要素内に移動していましたが、Firefox3ではこれがBODY要素の中、HTMLソースコードに記述したとおりの位置にあります。

BODY要素内CSSに基づく描画のタイミング

より重要なことと思われるのですが、従来、こうしたBODY要素内にLINK要素を記述してCSSを関連付けた場合、ページ中LINK要素の位置でいったんレンダリングが停止され[追記:このような一時停止・再開を行うのはIEでした。Fxでは以前からブロックはしません]、CSSファイルのリクエスト発信、レスポンス受信、解析、レンダリングの再開、という動作が行われていました。

この点は、
Webサイトの高速化 フロントエンドのパフォーマンスの重要性 (Yahoo! developer netoworkより翻訳)
──などで指摘されていますし、実際自身の経験でもこの現象を見ることがありました。

しかしFirefox3では[追記:上述のわけでFx2でもそうでした]、前述のとおりレンダリング作業の開始のタイミングが早く、しかもBODY内に記述したLINK要素による外部CSSファイルの受信を待たずに、この要素より下の部分のレンダリングを行ってしまうようです。結果として、整形されていない生のHTML──ブラウザによって最低限のスタイルが適用されたHTML──が一瞬ですがもろに見えてしまう、という問題が発生します[追記:それはFx2でもおきたのですが、要するにレンダリングのタイミングが早まった?のとスピードの向上とにともない、よりハッキリと目に見えるようになった、ということのようです]
これはXHTML+CSSでページを作っているものにとっては、ゾッとする瞬間です。見てほしくないもの、今は見せたくないもの、そのような形では見てほしくないものが、すっかり見えてしまいます。

Firefox2までの、レンダリングの中断ですら、ちょっとマズいものでしたが、今度は「ちょっと」ではすみません。
私の場合は、某NGOで使用しているCMSの都合、以前は上記のようにBODY要素内にLINK要素を記述し、CSSを呼び出す、ということをしていました。
その後、レンダリングの中断への対策として、XOOPSを管理・保守していらっしゃるリモートのボランティアの方にお願いして、本来ならばBODY要素内に出力されてしまうLINK要素を、自動で検出、HEAD要素内に移動するようハックをしてもらいました。
対策をとっていなかったらどうなっていたか…。

このゾーンのセキュリティ設定に従ってこのダウンロードはブロックされました

このゾーンのセキュリティ設定に従ってこのダウンロードはブロックされました

Windwos XPに、SP3を導入したころから、Firefox3でファイルのダウンロードに失敗するということが頻繁に起きる。いや、「失敗」というか絶対にダウンロードできない。

ダウンロード・マネージャを見ると、上記のようなエラー・メッセージが記録されている。
何か怪しげなサイトの怪しげな実行ファイルならばともかく、ふつうの製品マニュアルPDFやJavaScriptファイルを(おそらくウィルス・チェックすらせずに)拒否される。理不尽さがひどい。

「fmemo - Mozilla Firefox 3.0 で実行可能ファイルをダウンロードしようとすると「このゾーンのセキュリティ設定に従ってこのダウンロード..

調べてみると、 Internet Explorer のセキュリティ設定が影響していることが判明。 具体的には、 [インターネットのプロパティ] - [セキュリティ] - [レベルのカスタマイズ(C)...] - [セキュリティ設定 - インターネット ゾーン] - [その他] - [アプリケーションと安全でないファイルの起動] のオプションが 「無効にする」 に設定されている場合に、 Firefox 3 で exe ファイルや msi ファイルなどの実行可能なファイルをダウンロードしようとすると、この現象が発生してしまう。
この記事で紹介されているMozillaのヘルプ、エラー・メッセージこそ異なるものの、この方法で解決した。

実のところ、上に引用した2つの記事を読む前から、この設定がどうやらSP3導入とともに書き換えられて、ダウンロードがブロックされる、この設定を修正すれば直る、ということは先日から知っていたのだけれど。

問題は、このIEの設定、コントロールパネルからもアクセスができること(こちらからアクセスした場合には、「インターネットオプション」)。ネットワーク関係、それもセキュリティの問題だし、コントロールパネルに分類されているものなのだから、管理ユーザが決めたことが同じPC上で一律に適用されるものと勘違いしていた。事実は、この設定は各ユーザごとにいかようにもできる部分で、それに気づくまでに管理ユーザと制限ユーザ(いつもはこっちを使う)の間を何度も行き来(ログイン-ログオフ)してしまった。

それで制限ユーザ側のセキュリティの設定を見ると、セキュリティレベルが「高」になっている。たしか「中」でもこの問題が起きるのだが… そういえば、先日、IEはセキュリティがあやしいからなー、と自分で設定値をいじった記憶がある。JavaScriptファイルまでブロックされたのはこのせいか…。半分は自分のせいだったのね。

それにしても、この設定はいったいどういう性格のものなのか。単なるIEに限った設定とも思えない。現にFirefoxに干渉したのだし、コントロールパネルに「インターネットオプション」という、やけに一般的な名前で表示されている。しかしOperaなどには干渉しない…。

2008年8月15日金曜日

有料の、それも高額のソフトを、あえて「厳選」して紹介してくれる人びと

独学で極める “Webデザイン”の技と心:第12回 Webデザインの仕事で活用している厳選アプリ・ツール(2)

「厳選アプリ・ツール」というような言葉にひかれて記事を読んでみたら、高額ソフトのコマーシャルで、読み始めて2秒でひどくがっかりした、ということは、この頃はままあることである。

企業から間接的にでも賃金をもらっているならばまだ納得はゆくが、ボランティアにやってるならばもう意味がわからない。だいたい紹介されなくたってみんな知っていることではないか。つまり「厳選」ではなく「寡占」。デザイナというのは脳天気な職業なのだな、などと思ってしまう。

ついでに、その「厳選・高額ツール」というものがことごとくAdobe社のものであることには、これはまた別個にがっかりさせられる。

ログイン画面で、再ログインが不可能に

原因はわからないが、Windows XP SP3を導入した前後から、ログイン画面で再ログインができなくなる、という問題が起きるようになった。

管理ユーザのアカウントで何か作業をして、その後ログアウト。ログイン画面に戻る。ユーザ名とアイコンの一覧が表示される画面に。この状態で、ユーザ名やアイコンをクリックしても、パスワードの入力フォームは表示されるが、入力カーソルがそのフォーム内に表示されない。もちろん、キーをたたいても入力ができない。入力フォーム右の矢印マークやパスワードのヒントを表示するボタン(だったと思うけど)も、反応なし。

仕方なく、これだけは唯一機能する「終了オプション」をクリックして、表示されたダイアログから「再起動」を選ぶ。再起動すると、どのアカウントにもログインできる。しかし、管理ユーザのアカウントで何か作業をしてから、別のユーザのアカウントに切り替えようとすると、やはりだめ…。

管理ユーザのログイン後、いつもそうなるとは限らないが、しかしきのうは1日に2回そういう目にあった。

2008年8月13日水曜日

北京オリンピックでオンライン・デモ!

国境なき記者団のウェブサイトで、Cyber manifestation(オンライン・デモ)を実施中です。

入力フォームに名前と所在地(例:Tokyo、Japon)を入力して、スローガンを選ぶと、右の写真のごとく、オンライン・デモに参加できます。
フランス語版と英語版があります(画面右上の国旗で切り替え)。

死刑執行、「労働教養」、人権擁護活動家の弾圧、インターネット上にまでおよぶ検閲体制など、中国の人権状況についてはこちらをご覧ください。

以下、稚拙ですが翻訳。

オリンピック・スタジアムの前で抗議行動を

中国政府は、オリンピック開催前に国内の人権状況を改善するという、自らの約束を裏切りました。100人ほどのジャーナリストとサイバー・ディシデンツ(オンラインで「反体制的」な活動を行う人びと)が投獄され、出版物とインターネット上の、あらゆる場所に、絶えず、検閲が行われてきました。当局は、オリンピック期間中の一切のデモを禁止しました。

そして、中国全土における報道の自由に対するこの恐るべき暴力にもかかわらず、各国政府の首脳陣や王室の人びとは、8月8日の開幕式に出席することを決めました。

しかし私たちは、中国政府の態度を承認しません。私たちとともに、北京のスタジアムの前で、デモに参加してください!

オリンピックと抑圧は歩調をあわせている(オリンピックは抑圧と韻をふんでいる)

北京ではオリンピックが開幕したにもかかわらず、50人以上のサイバー・ディシデンツと30人以上のジャーナリスト──著名な中国人ブロガーであるHu Jia(2007年12月に逮捕)など──は、いまだに檻の中にいます。Hu Jiaは、オリンピック組織委員会を批判したために逮捕され拘留されている、「オリンピックの囚人たち」の1人です。思想犯たちの解放、死刑執行の一時停止はなく、労働による再教育(労働教養)はいまだに存在します。当局はこれらのことを実施する構えを一切見せませんでした。

あなたの意見を表明してください、そしてオリンピック期間中のデモに参加してください!

ナビに弱いXOOPS


 ここ2年弱、NGOのボランティアとして、PHP4で動作するCMS、XOOPSを利用してウェブサイトの管理を行ってきたが、このシステム(あるいは他の多くのCMSにも言えるのだろうか?)の弱点の1つは、ナビゲーション(メニュー)であると思う。

 標準のナビ(メインメニュー)は、モジュール単位で整理され、まずモジュール一覧、そしてサブカテゴリは各モジュールの各機能の一覧となる。
 一体、そんな技術的な、内部構造をそのまま表示したようなナビで、一般のページ訪問者の役に立つのだろうか? 別に訪問者たちは、WFSectionモジュールだとか、NewBBモジュールだとか、PukiWikiだとか、NewsEmbedモジュールだとかにアクセスするために、まさにそのためにそのサイトにやってくるのだろうか? あるいはまた、さすがにこのような露骨なモジュール名の表示は、別のもっと当たり前な表示(フォーラム、マニュアル、ニュース)に置き換えたとしても、同じ疑問がうかぶ。

 サイト訪問者は、「企業情報」や「製品情報」、「サポート」などの、各サイトごとに独自に整理された情報にアクセスしにくるのである。
 「企業情報」は主に静的なコンテンツにより構成されるが、FAQにはWiki用モジュールが使用され、社員ブログには当然Blog用モジュールが使用されるだろう。「製品情報」も同様で、静的コンテンツによる基本情報とともに、製品のデザインを見てもらうためにMyAlbumモジュールが用いられるかもしれない。「サポート」には静的コンテンツも、Wikiも、アルバム・モジュールも、ダウンロード・モジュールも、お問い合わせ受付モジュールも用いられる。
 こうしたサイトは、当然モジュールごとの整理などを受け付けない。ウェブサイトにはそれぞれ独自の、情報の樹構造があるのである。あってしかるべきである。繰り返しになるが、訪問者は、「NewBB」とか「フォーラム」が見たいからそのサイトにやってくるではなく、例えば「製品を使用する上での有益な情報の共有」を探しにやってくるのである。結果的にそのページがどのようなモジュールで内部的に運用されていようとも、訪問者には関係のない話である。

 XOOPSには、こうした、モジュールに束縛されない、そのウェブサイト独自の情報整理の方法にもとづくナビを生成・表示する機能がない(モジュールもそのようなことを考えて設計されていない)。パンくずナビもない。
 ここ数ヶ月ひまを見つけてはあれこれ試してみてはいるが、そもそもHTMLコーダーにそんな苦労をさせてしまうCMSとは一体…、という思いである。
 しかし故なきことではない。こうしたユーザに提供するインターフェイス(見た目と操作性の良さ)の問題は、そもそもなかなかプログラマには理解してもらえないものである。それどころか、XOOPSはそもそもそうしたインターフェイスの問題に専心するスタッフの存在を前提としてない──カスタマイズ作業のときに常々感じることだが、このCMSのために開発されているモジュールの多くはHTMLやCSSによるカスタマイズ性が著しく低い。

 比較対象もなくこのような不平をあれこれと書き綴ることは何か卑怯の感もあるけれども、是非とも改善していってほしい部分としてここに記しておくものである。

2008年8月12日火曜日

LABEL要素の知名度

オンラインで何らかの申請やアカウントの作成などをするとき、ラジオボタンやチェックボックスにチェックを入れる、ということは頻繁である。

ところが多くのウェブサイトでは、このラジオボタンやチェックボックスの横についている文字(ラベル)をクリックしても、何も起きない。だから、ユーザは、なんとしても、あの豆粒のように小さなボタンの部分をクリックしないといけないのである。これは、苦痛。

実のところ、こういうとき、ラジオボタン(<input type="radio" />)やチェックボックス(<input type="checkbox" />)とラベルのセットを、それぞれLABEL要素(<label>~</label>)で、くるんで関連づけしてやれば、ラベル部分のクリックが有効化する。それだけのこと。

しかし実際には、ディベロッパ向けのオンライン・ニュースの記事(チュートリアル)に執筆しているような人びとですら、このようなごくごく単純で、しかもそのサイトの使い勝手を大きく左右するような事実をしらないことがあるらしい。

そんな仮説を持つにいたった原因となった記事↓

フォームデザイン虎の巻:特集 - builder by ZDNet Japan

何しろ、「虎の巻」なのである。しかしこの連載に出てくるサンプルには、LABEL要素は一切使用されていない…。

MAKE the RULE!


地球温暖化:「シロクマ」も物申す NGOが対策法制定訴え(毎日新聞 2008年8月2日 東京朝刊)

このニュースは、すごく意味不明です。
地球温暖化問題に取り組む国内の非政府組織(NGO)32団体が1日、2020年に90年比で30%の温室効果ガス排出量削減などを盛り込んだ法制定を、政府や各党に働きかける運動を始めた。
──というのですが、その32団体も、そのキャンペーンの名称も、すべてが完全に匿名なのです。

この32団体(現在は36団体)が立ち上げたのはMAKE the RULEというキャンペーン。これから「署名、サイバーアクション、イベント、勉強会やセミナーなど」いろいろやるそうです。

ロゴにもなっているシロクマがなんとも…

2008年8月11日月曜日

例のごとく「発言」は「波紋」を広げる

首相「適切でない」=農水相発言で波紋(時事通信) - Yahoo!ニュース

麻生太郎のこともそうだけれども、水戸黄門のお話の運びのように「例のごとく」の、「○○発言」。
これで2人ともが、これも例のごとく、「皆さんの誤解をまねく発言をしてしまい申しわけありませんでした」などと言えば、結局今回も「誤解」した私たち=視聴者たちが最終的には浅はかでした、ということになってしまうのだろうな…。

もちろん事実はそうではないのであって、過ちをおかしたのは発言者本人である。だいたい自民党の人びとはいつだってそんなに難しいことはいっていない。だれが聞いたって「不適切」で、「KY」で、ひとをいきどおらせるであろうと分かることを言っている。

それにしても日本の「消費者がやかましい」という農水相の発言も、「日本の消費者は世界的に見ても、厳しい選択眼を持っている」という首相の発言も、ほとんど意味不明ではある。「神の国」の王子さまの森さんと同様、まるでどこか遠い異国の話をしているようで。
そういうわけで結局2人ともが、「消費者」をコケにしていることにかわりはないようにもとれる…。

あなたたちのような政治家がそれでも政権についていられるのは、きっとこの国の「消費者」たちが余程おとなしいからでしょうにね。

道新を急いで読む 8.03

長らくため込みがちにしてしまっていた新聞を急いで読む。

8月3日

1面には共同通信社による内閣支持率関連の世論調査や赤塚氏の話などが載っている。

2面。中国のオリンピック開催決定に至るまでの歴史について、左半面を割いている。
今回の北京オリンピック招致が決定したのち、「社会の安定」のためという名目のもと、人権擁護活動家や社会的マイノリティに対する弾圧を強めてきたこと、オリンピック開催のため補償なく立ち退きを強制され、これに抗議したため逮捕・起訴された人びとのことにも触れている。「一気に民衆活動が活発化し、中国が混乱する恐れがある」という社会科学院研究者のことば。
今の中国の状況が「秩序」だというのならば、「混乱」こそが必要ということになろうか。

7面。過去150年間でその面積を半減させたアルプスの氷河、オーストリアでは2005年から太陽光の90%を反射するシートを氷河末端にかぶせ、氷河の後退をとどめる試みがはじまっている、とのこと。

31面。文献上では、アイヌ民族(クリル人)の生活圏がカムチャッカ半島までおよび、現地の住人と交流のあったことも指摘されている。これを考古学的に(物質文化的に、と言い換えていいだろうか)検証するための発掘調査が、2004年から明大・高瀬克範氏によって行われている、というはなし。発掘地・ナルィチェヴォ遺跡では、今のところ「アイヌ民族の遺跡と裏付ける遺物も、否定する材料も出ていない」(同氏)。

東京イチャルパ

昨日(10日)、芝公園内で開催された東京イチャルパに参加(観覧)してきた。

戊申戦争が函館で終結後、蝦夷地(現在の北海道島と千島・樺太)を支配するためにできた開拓使は、明治初期には東京の芝増上寺に、その本庁を置いていた。
1872年、開拓使はこの増上寺境内に「仮学校」を設立して、その中の「旧土人教育所」などに北海道から30数名のアイヌを送り込んだ。
1870年代は、この開拓使によりアイヌ「教育」の試みが行われる時期で、道内でも強制隔離就学の試みが行われていたらしい。
東京における「教育」は、行方不明者、病死者などを出し、また大半のものが希望して帰郷したとのこと。
イチャルパは、この一件で、異郷において亡くなったアイヌと「何らかの理由で北海道を離れ関東で亡くなったアイヌも想い」行うものと(上記ページ参考)。

     * * *

仮学校跡(現在は遊具などのある公園となっている)の会場は、大きな銀杏の木の下に、祭壇と細長い囲炉裏のようなもの、ござやビニルシートなどが敷かれていた。
予定時刻から10数分たってイチャルパがはじまった。
囲炉裏を囲んで、男性の正装をしたものが第一列、その周りに正装の女性たちが座る。周囲、とくに祭壇の向いに僕のような一般の参加者・見学者たちが座ったり、立ったりで、ようすを見守る。
供養の儀式は、男性たちが進める。そのうちでも比較的若い人たちが、年配者の動作を見てまさに今学んでいるようなようすは、ふつうのいわゆる「お葬式」などとも似ているが、真剣さはちがう。
高さのある漆器の杯にお酒(トノト)を継ぎ、これを独特のへら状の箸(イクパスイ)ですくい、囲炉裏の火のカムイに振りかけながら、語りかける。
長谷川氏は、まずアイヌ語で語り、次におそらく同様のことを日本語で話す。その後囲炉裏を囲んだ男性と女性とで、残りのお酒を飲む。これを繰り返したあと、男衆は立ち、祭壇の削りかけ(ヌササン)の前にゆき、ここにもお酒を振りかけ、何か礼式のことをした。
その後、祭壇の横に長谷川氏が、いくつもヌササンを立て、これに女性たちが何かまた供養のことをしていたよう。
このころになると会場の人びとは互いに話したりして、ゆったりしている。最後に、また長谷川氏がアイヌ語と日本語とで、カムイにお願いごとなどをして供養の儀式は終わった。15時くらいか。

その後、女性、男性、あるいは双方混じって、舞踊、輪踊り、輪唱などがあり、見学者も手拍子を打つ。これも若い人たちにとっては貴重な学習の機会で、おそらくある種の緊張があったのではないかと思う。

     * * *

儀式のあいだ、「スタッフ」という腕章をつけた人、そうでない人、メモ帳とペンをポケットにいれている人など、いろいろの人がカメラやビデオカメラで、会場を撮影していた。
そうした人びとはもちろん「仕事」でやっているので、立ったり座ったり、歩き回ったりなのであるが、彼らは一種、透明で中立である。ところが僕の方はといえば「ちょっと見てみたい・知ってみたい」という何だか気まずい動機でやって来ているのだから、あれこれじろじろと微に入り細に入りとはやりたくない。そうする必要がない。
それで儀式のようすや、囲炉裏端で話されたことは、あまりちゃんとわからないのだが。

会場の人びとの正装は、紺やそれに近い色の木綿地に刺繍や切り伏せで文様をほどこしたものであった。アットゥシ(樹皮を用いた布)などは見られなかった。文様は色も形もいろいろであったが、渦巻き状の模様が多用されるもの、直線と直角とが強調されているもの、木の葉や花のモチーフが縫い込まれたものなどいくかのパターンがあり、したがって幾人かの縫い手によるものなのかもしれない。

     * * *

数日前の恐ろしい暑さと比較すればかなりすごしやすい天気で、大変助かった。
6月末から7月初旬にかけての北海道旅行から東京に帰った直後、オヤがガン入院し、家に残された僕はといえば1週間おきに風邪をひくという虚弱さで、これで猛暑であったら(オヤを世話する必要からなんとしても必要な)自分の健康のために、今回の観覧を取りやめなくてはならないところであった。余談。