ここのところ生来の怠け癖を最大限に発揮してちっとも読書は進んでいなかった。
『イザベラ・バードの日本紀行』(イザベラ・バード著、時岡敬子訳 講談社学術文庫)は、ともかく目的の箇所はだいたい読み終えた。
明治7年、日本国内、おもに東北~北海道を旅したイギリスの旅行作家による紀行文。
不思議な本であった。もっとも、外国人の手になるそれはもちろん、そもそも紀行文という種類のものがはじめてであった。
自分自身が「昔」のことなどさっぱり分かっていないので、著者の見聞きしたことに感心することもあり、疑問に思うこともあり(これは著者の勘違いでは、とか)。
少なくとも僕が読んだ箇所については、全体として、しばしば「日本」や「蝦夷」(蝦夷地)には宗教がないという表現が目立つ。仏教の念仏も、アイヌのカムイノミも、彼女に言わせれば「宗教」ではない。迷信に沈み込んだこの島国で、医療伝道団が西洋の「科学」と「宗教」をとく。
アイヌ民族に対する評価は、「和人」に対するそれより明らかに良いものであるが、そうであっても彼女は、アイヌの人びとが「進化論」的に滅ぶよりほかないと確信している。
心地よい気候、天候、風景、不調和なのは「アイヌ──これまでかくも多くの名もない被征服民族を受け入れてきた、あの広大な墓場へと身を沈めつつある、進歩の余地のない無害な人々──の光景」(『イザベラ・バードの日本紀行(下)』pp.71)。
何と不愉快な審判だろうか。もちろん通詞として雇われ同道している伊藤の「アイヌに丁重な態度をとは! 人間じゃなくて犬にすぎないのに」(同書、pp.73)という、レイシズムとは異なる「態度」ではある。
平取のコタン(村落)では、しきりに「自分たちの風習について話を聞いたことは日本の役人には黙っていてほしい」と懇願されている。すでにいわゆる「同化政策」の影響が現れているともいえるだろうし、といってこのころはまだ「黙っていてほしい」ということで済んでいた、ということもいえるだろう。
函館から太平洋岸の平取までの、和人・アイヌのさまざまな生活が描かれている。コタンの住人のことばや祈りのなかに感心させられるものが多々あった。
かくもやさしく、伝承のなかの祖先や英雄を尊敬し、旅人をコタンにある限りの物資で──それがなくなれば遠方から調達してまで──歓待する人びとに、冷徹なダーウィニズムを適用することがどうしてできよう。
また以前別の文書──おそらく小川正人氏の論文──の中でも、この箇所を引用しているものがあったが、「楽器には三弦か五弦のギターのようなものがあり、弦は岸に打ち上げられた鯨の腱でつくります」(同書、pp.133)という記述がある。平取のコタンでの文章であるから、もしこの楽器をバード自身がその目で見たということになると、これはどういうことになるだろう…。この楽器が樺太アイヌの弦楽器トンコリだとすれば、アイヌ同士の交換々々よって太平洋岸にまできた、ということになるのか。
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