2008年8月28日木曜日

『闇の子供たち』読了

東南アジアにおける児童売買,売買春,臓器売買(もちろん子供たち自身はこれらの経済の主体として存在できない)の解決にとりくむ,現地のNGOと,海外からこれに参加するボランティアを主人公とするお話.

8歳前後で売られ/買われ,監禁され,「訓練」を受け,売春をさせらて,エイズやその他の病気,暴行で死亡すれば文字通り,ゴミ処理場に捨てられる子供たち.こうした子供たちを保護しようと活動する人びとは,マフィアどころか,警察や軍の暴力の標的となる.

あまりにも救いのない世界.

児童売買春の問題にかぎらず,労働問題,人権問題,環境問題,さまざまな「救いのない」問題は,いつも僕たちの生活──社会・経済──と表裏をなすものなのに,そうした問題はますます僕たちのもとから,地図のうえでも,意識のうえでも,遠ざかっていく….僕たちは,何のために学校で「公害」だとか「貧困」だとかいう言葉を,いったい何のために勉強しているのだろうか? 中国のことでも,同じことを考えさせられる.

「国」は閉じた社会ではない.国と国との間で,人も金も物も動く.世界は,地続きのひとつの「場」である.なるほど,それは平坦に統合されている「場」ではない.ある国/地域にはその地域ごとに政府があり自治体があり,企業があり,マフィアがあり,NGOがあり,それらが互いに関わり合い,もがき合う「場」が存在する.そしてそうした小さな(?)「場」は,より大きな「場」を構成する.北側の資本と権力は,南側の「商品」を買いあさり,それが「商品」の生産を刺激する.北側が廃棄物を捨てる場所を求め,南側が「処理場」──貧弱な環境規制──を提供する.

最悪である.むろん自分自身をもふくめて…

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