2009年3月15日日曜日

道新2009年2月20日──「南北之塔」偏見に揺れる

北海道新聞
2009年2月20日 夕刊 1面
沖縄戦アイヌ民族元兵士と地元住民が建立
「南北之塔」偏見に揺れる 一部でイチャルパに異論

南北之塔は、「道内出身者が中心の第二十四師団(通称・山部隊)」に所属した、アイヌ民族元兵士で故人の弟子豊治さんと、糸満市真栄平の住民が、66年、戦争犠牲者の遺骨を集めた納骨堂とともに建立した慰霊碑。

北海道ウタリ協会によれば、「沖縄戦で戦死したアイヌ民族は四十三人(判明分)。真栄平にその遺骨が納められているかは不明だが、同協会は八一年からほぼ五年置きに南北之塔でイチャルパ(供養祭)を催し、別のグループも行っている」。

記事によれば、しかし、「真栄平の一部住民で組織する『南北の塔を考える会』」が、「塔とアイヌ民族とのかかわりを記した本の著者に訂正を要求」(80年代後半?)、また90年頃には「イチャルパを妨害して同会が慰霊碑への道を封鎖したこともある」、という。「塔とアイヌ民族とのかかわり」というのが、どのように紹介されていたものなのかもすこし気になるが、記事はこうした妨害を、ごく一部の住民のアイヌ民族に対するレイシズムによるものとしている。

実際、短くも引用された「考える会」代表の大城藤六の話は、そのようにしか解せないものである。

南北之塔が「アイヌの墓」と言われるのが許せない。北海道出身の沖縄戦戦没者の慰霊碑はほかにある。遺族はそちらに行けばよい

(敵味方にかかわらず、また出自にかかわらず死者を記念する碑を建立する人びともいれば、またかようにそれを拒む人びともいる、というわけだろうか。最近問題となった非正規滞在者の問題にしてもそうなのであるが、他人を嫌悪し、排除することに心血を注ぐことは、あまりにも無益なことである。)

また真栄平自治会代表の喜納康升によれば「集落で南北之塔の考え方は二分している」ということで、彼も「代表」ではなく「個人」としての参加なのだそうである。

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