2009年3月30日月曜日

『ドレフュス事件のなかの科学』読了

アラン・コルバン『においの歴史―嗅覚と社会的想像力』(なぜかくも記述に年代を添えずに読者を混乱させようとするのか!),ノーマ・フィールド『小林多喜二―21世紀にどう読むか』(なんとなくまとまりのなさを感じるのだが…)に続き,菅野賢治『ドレフュス事件のなかの科学』を読み終えた.三・四百ページあるとどうしても一週間以上かかってしまう….なんとかならないものか.

難解な部分もあるが,平易(?)な部分もある.記述は丁寧である.ただ本文中に出典のこまかな内容まで括弧内記述してあるせいで,読みにくさがある.脚注でも傍注でも割注でもいいから,本文と区別してほしかった.

19世紀末~20世紀初頭のフランス「科学」思想界のようすをすこし垣間見たような気がした.デュ・パティ・ド・クラムやベルティョンの暴走ぶりは,今か らしてみると,また彼ら個人を周囲から切り離して見るとかなりおもしろくもあるのだけれど…反ユダヤ主義の文脈のなかで,あるいは「科学」思想の問題とい う文脈のなかで考えると笑ってもいられない.


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