2008年12月7日日曜日

それとなく規定すること──「女」はあくまでも「女」と

北海道新聞でおもしろい記事を見つけた。

黒木メイサ、男装麗人に挑戦 スペシャルドラマで主演-北海道新聞(文化・芸能)
戦時下に美ぼうの女スパイとして、時に“男装の麗人”として名をはせた川島の生涯を描いた物語で、黒木は14歳から35歳までの役に挑戦した。……報道陣から「もし男装できたら何をしたい?」と聞かれると、「体まで(男に)変えることができたら…上半身裸でビーチに行きたい」と大胆発言も飛び出していた。

何が、どこが、おもしろいのか。
おもしろいのは「上半身裸でビーチに行きたい」というのが「大胆発言」とされている部分である。

第1に、黒木が「女性」性と「男性」性とを創り出す/に創り出された境界線を「報道陣」の前に明示していること。「女性」と「男性」とで、それぞれの「世界」の「体験」──つまりやさしくいえば「生活」そのもの──が、いちじるしく非対称であることについて言明していること。その「言明」がその「当人にとって明らか」であるかどうかは、この際問題ではない。それを読んだ「私」に「それ」が伝わっただけで十分である。

第2に、黒木がそうして境界線を示した──つまり「女性」性から「男性」性へと、一時的ではあっても「越境」してみせたことに、この記事を執筆した記者は気づかず、もしくは意図的に無視したこと。つまり記者にとって黒木はあくまでも「女」であって、その「彼女」が「上半身裸」なので、「大胆発言」なのである。そのように考えなければ──異邦人は本国に送還されたと考えなければ、「大胆発言も飛び出し」た、という部分は説明がつかない。

「女性」性の規定(束縛)についてより細かく言えば、記者にとって黒木は「女」である、というレベルと、芸能記事において黒木は「女」である、というレベルがあって、これらが組み合わさっているように思われる。両者の(「記者」個人と「芸能記事」という界の)背後には、社会構造というものが想定される。

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