2008年11月6日木曜日

アイヌ文化フェスティバル/東京国際フォーラム

11月1日,日曜日,アイヌ文化フェスティバル(東京)を見に行ってきた.
今年は,室蘭,和歌山,東京,白老で開催されるとのこと.東京会場は東京国際フォーラムであった.

1階受付の背後には展示コーナーがあり,マキリや盆(アイヌ語での呼び名を記憶し忘れた)などの木彫工芸のほか,おそらく大陸からサハリン経由でアイヌ民族の伝統社会にもたらされた玉の首飾りなど.アットゥシをはじめとして,刺しゅうや切り伏せ文様で飾った民族衣装も.

2階(踊り場)には工芸の実演,グッズ販売コーナー,関連団体の資料配付コーナー,啓発ビデオの上映コーナーなどがあった.

3階がホール(Cホール).

「フェスティバル」といっても客層をみると,みんぱくフォーラムとか歴博フォーラムとかに顔を出していそうな人たち──別に否定的な意味でいうのではないのだけれど,つまり高齢の方々が多い.

主催の(財)アイヌ文化振興・研究推進機構 理事長・谷本一之氏のごあいさつからはじまってウタリ協会理事長の加藤忠氏もお話.

その後の国立民族学博物館の佐々木和利氏の講演も,あきらかに近世史やアイヌ民族史についての事前の知識を要求している.「シャモ」,「蝦夷地」,「知行」,「石高制」,「久保寺」某,「場所」,「運上屋」….

(しかしながらまさに学問的に興味深い示唆も聞くことができた.江戸時代後期には「アイヌ」(もしくはアイノ)という呼称がアイヌ民族自身により,またアイヌ民族研究者ら──彼らの本当の関心は北方防衛であったが──によって用いられているが,しかし多くの和人は「蝦夷」という呼称を用い続けた.もちろんこの呼称は前近代における「文化」に基づくレイシズムを表すものであり,アイヌ民族は「禽獣」に違わぬものたちと規定されていた.けれどもこうして著しく見下されていたアイヌ民族であっても,しばしば和人側記録には,熱心に和語を学び手習いをするアイヌの少年たちが登場するという.佐々木氏お気に入りの当時の絵画を題材にしたプレゼンテーション.和人番人の目を盗み,父の目を盗み手習いを続けた者,クナシリ・メナシの蜂起の真実を伝えるため和語を学んだという者…江戸幕府による改俗強制政策のみに還元できない学習者たちの姿である.それは佐々木氏のいう「異文化に対するごく普通の,当たり前の関心」に基づくものでもあったろうし,支配者の言語や文字という資本の獲得という意味合いのものでもあったろう.何にしても一元化されない歴史,多様な存在を含み込んだ社会の記述に,ひとつの可能性を示すものであったと思う.)

その後,木幡サチ子氏のカムイユカラ.きれいな歌/物語であった.

休憩があり,ぼくはここで退席した.ほんとうはこの後,トンコリの演奏やあれこれがあって,すこし「フェスティバル」らしく(?)なったはずだけれど,都合があって….

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