2008年11月23日日曜日

みんぱく研究フォーラム「無国籍者からみた世界-現代社会における国籍の再検討」

みんぱく研究フォーラム
無国籍者からみた世界-現代社会における国籍の再検討


大学の講義で,無国籍者についての話のとき,教授が「みんぱく」がどうこうと口にしていたので,検索したら出てきました.興味深くもあり事前に参加登録をして参加(見学)してきました.

みんぱくが東京でひらくフォーラムというと,年に何度か,日経新聞と協力するかたちで実施しているもの──同新聞社の本社ビル内のホールで実施──を思い浮かべていたのですが,今回はまったく具合がちがいました.

会場は国連大学本部ビル(青山学院向かい)の5階で,ホールの規模こそ小さいものの,同時通訳用機材と革張りの椅子など,会場に入った瞬間「来る場所まちがった…」な気分になる場所でした.それこそ普段は国際会議などに使用されているのでしょう.

司会の阿部浩己(神大法科)の「国籍問題──国際法 / 在留資格──(国内の)移民法」という整理のうちでは,どちらかというと後者の問題がよく話されていたように感じました.

法律上または事実上,「無国籍」となってしまうことは確かに大きな不利益をその個人に及ぼすのであるが──そしてそれらの事例とその背景にある問題というのは大変に興味深いものなのだが,しかしそれ以前にというかそれ以上にというか,特に日本においては行政窓口における制度の運用がまずいという指摘はなお興味深かったです.

これは山口元一(弁護士)が指摘したところで,さまざまなサービスの提供や,何らかの申請の場面で,法律上もしくは政府の決定上では必要とされていないような書類を求めるということがしばしば堂々と行われているということ,そもそも国籍を証明するためのものではない外国人登録証に記載された「国籍」を文字通りに「国籍」と見ることなど.

それにしてもパネラーの1人,ユージン・アクセノフ(インターナショナルクリニック院長)は,自身の受けた教育と医師という社会的・経済的ステータス,歴史的偶然(敗戦時は「日本人」以外それも多言語理解者が大変に優遇された)というまさしく幸運によって80年間無国籍生活を「楽観的」に送ってきたのだそうで──司会からも再三「〔会場内の〕マイノリティ」と呼ばれていましたが──ようするに「お金があれば何も困りません,私は困りませんでした」という以外なにも発話するつもりがなかったようでした.

そうした「個人の問題」,「能力の問題」──そこではしばしばその「幸運」がいかに社会的・歴史的なものであるかが忘れられるか過小評価される──として議論したところで何も得るものはないのですが.

そういうわけで個人の来歴とその当人の思想とか思考法というものとが如何に相互に結び付いたものであるかをしみじみ感じた次第.


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