2009年1月13日火曜日

『ウィキペディア革命―そこで何が起きているのか?』──もっと良質の翻訳がほしい

何となくおもしろそうに思って、『ウィキペディア革命―そこで何が起きているのか?』を買って、読んでいる。

しかし──読んでいる途中に感想を書くのもあれだが──、翻訳者がコンピュータ用語に通じていないためか、原書の著者がそうであるためか、あるいは日本とフランスとでコンピュータ用語体系に違いがあるためか、意味不明な表現箇所が散見されて残念である。たぶん翻訳がうまくないのだと思う。コンピュータ用語と関係のない部分でも、文意を解せない箇所があるから。

ウィキペディアが──ウィキペディアそのもの、ウィキペディアの運営者個人、ウィキペディアで執筆する人びと、ウィキペディアを利用する人びと、そのそれぞれが──持つ問題性を考えれば、この読みにくさはまったく残念である。

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2009年1月10日土曜日

「首をかしげる」人に首をかしげる

Vistaは本当に失敗作なのか:Windowsの現在と未来という記事のなかで、横山某という人が、「『Windows Vistaにまつわる文句』を複数挙げ、その根拠に首をかしげ」ているのだが、読んでみると、実際のところこの横山氏の「首のかしげ」かたに首をかしげてしまう。

Windows Aeroを使うと遅いという「文句」には、「ある程度のメモリがあれば、逆に早いのがAero。ただ、『ある程度』のハードルが高く、(快適に動作させるためには)2GB程度が必要だ。」としたり、

UACは面倒なだけだという「文句」には、「アラートが上がって煩わしいという声は、特権作業が多いということも意味している。これはPCの利用法として妥当なのかという点を考えなければならないだろう。」と返したり。

でも、一目瞭然のこととして、この人は決して「文句」に応えられていない

オンラインストアなどで見ている限り、Vista登場時も今日も、販売されているPCの標準的メモリー容量は1GBである。「ある程度のメモリーがあれば」、つまり「2GBあれば」などと言って、批判をかわしたつもりになっているのだろうか?

またUACについて、UACのアラートが頻繁に表示されるようなら「PCの利用法として妥当なのか考えなければならない」というけれども、まさに、PCの妥当な使用方法がどうのこうのといったことを(自分たちユーザのPCの利用方法などどうせよく理解もしていない)Microsoftにとやかくいわれなくない、ということをこの「文句」は表明しているのではないのか。

結局この横山氏のコメントとそれを取り上げたこの記事こそ、「首をかしげ」てしまう内容であろう。

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2009年1月4日日曜日

Thunderbirdのタグ機能への不満

Thunderbird 2から導入された──と記憶しているが──「タグ」によるメール整理機能。
この機能の、今ひとつ使いにくいと感じるのは、タグに色を関連づけることができるのだが、そうするとタグ付けしたメールのタイトル(Subject)や受信日時、送信者などの文字色がそのタグの色になる、というところである。

なるほどメール一覧中に色分けされたメールがずらりと並ぶとぱっと見には見分けがよいが、これでは同じメールに複数のタグが付けられていてもわからない──文字色は設定(「設定」→「表示」→「タグ」)で登録されている順序で決まってしまう。つまり設定では「タグA タグB タグC タグD…」という具合に登録してあって、あるメールに「タグC」と「タグB」を付けたとすると、メールのタイトルなどの情報は「タグB」の色で表示される。当然ながら「タグC」の色はどこにも反映されない。

もちろんメール一覧で、個々のメールの情報として、それぞれのメールに付けられたタグ名を表示することもできる。しかしそれらのタグ名の文字色はもちろん上述のルールにしたがって彩色される(つまり上述の例で言えば「タグC」という文字もまた「タグB」の色で表示される)。

結局、メールの見分けやすさという点から言えば、Thunderbirdのタグ機能は(一つのメールに対して複数のタグを付けても見分けがつかないというわけで)フォルダ機能とそう変わりがないのである。一つのメールに複数のタグを付ける──そして/しかも、それらのタグ付けされたメールを容易に見分られるようにするのには、Gmailの「ラベル」機能のように、(メール一覧の「行」全体に着色するのではなく)「タグ」(ラベル)欄に表示された「タグ」(ラベル)にのみ着色されるようでなければならない。

もちろん、メールの検索ではタグの情報が有効に使えるので、この点について言えば大変便利である。しかし上述のことがあって、Gmailの「ラベル」機能に比べてみたとき、Thunderbirdのタグ機能には不満を感ぜざるを得ない。


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道新2009年1月3日──「道民宣言」の検討開始

北海道新聞、2009年1月3日、日刊、2面
アイヌ民族尊重へ「宣言」 道が策定検討 差別の歴史直視 道民意識向上へ

アイヌ民族の権利や歴史、文化を尊重する道民意識の向上を図り、併せてアイヌ民族政策の基本方針を規定する内容を「道民宣言」などの形にまとめる方向で検 討を始めた。宣言の内容や、アイヌ民族政策のあり方を継続して協議していくため、道、アイヌ民族代表、学識経験者による審議会を常設機関として設置する方針…「宣言」は、明治期以降の国の同化政策で民族の社会・文化が破壊され、差別と貧窮を余儀なくされた歴史的経緯を直視。民族の独自性を尊重する地域社会の普遍的なあり方をうたう内容を目指す。

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2009年1月2日金曜日

「チェチェンへ アレクサンドラの旅」を観…

渋谷のユーロスペースで、アレクサンドル・ソクーロフ監督の「チェチェンへ アレクサンドラの旅」を観た。

チェチェン紛争の戦闘地域で軍務につく孫を、祖母が訪ねる、という舞台設定。
ソクーロフの作品を観たのは、数年前の「太陽」から2作目。静かな、素朴な映画を撮る人だな、という印象。

それにしても本編前の予告編で出てきた映画のことごとくが恋愛をテーマとしたものであることには、ちょっと感心を覚えた。なぜかくもこのテーマが選ばれるのか。

考えてみたら映画だけではない。こうした作品──いわゆる「芸術」から「商品」まで──は、何をしていることになるのだろうか。とても一鑑賞者──ふつうの人には体験できないドラマを役者に体験させることで何か良い気分にさせるのか? それともいつかはその人も実行に移すべき行動のモデルを提供している──いわば「恋愛」の指南をしているのか? それともそれとも、「ほら、ご覧なさい、みんなこうして恋をするものだし、人を愛するものなんですよ、ところがあなたときたら」といった具合に圧力をかけているのか。このテーマの作品がこの世にあふれている限り、人類共同体の未来は安泰ということなのだろうか…。何にしても苦笑ものであった。


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「2009年のアクセシビリティ」

2009年のアクセシビリティ

こういうタイトルはそれだけで読む気を削がれてしまうのは僕だけだろうか。

読む気はなかったが、他に読むものもなく、また「アクセシビリティ」という言葉がタイトルになるような記事は少ないように感じるので、読んでみると、W3CのWebアクセシビリティ・ガイドラインの改訂の話や音声ブラウザ、スクリーンリーダの話があって、参考になる。

しかしやはり年末年始の文脈で、「○○年の~」などとタイトルがついていると、何だか…(新聞社やテレビ局、その他のニュースソースの配信する「○○年の~」系ニュースへの軽蔑が影響しているのか)

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