2009年6月23日火曜日

Firefox3.0と3.5──起動直後の十数秒間の「応答なし」

Firefox3.0(Windows Vista Business SP1)を起動すると、起動直後──正確にはブラウザのウィンドウが表示された数秒後──から数十秒間、一切の操作を受け付けず、操作しようとするとタイトルバーに「Mozilla Firefox(応答なし)」と表示される。

これはどのようにしても、こうなる。
セーフモードで起動したときもそうであった。原因が分からない。

十数秒待てば復帰するので致命的な問題ではないのだが、実質的な起動時間の延長に、どうしてもいらいらする。

この問題がFirefox3.5では解決されるかも、とすこし期待していたが、Firefox3.5RC2をインストールして使用してみたところ、同じ現象に見舞われた…。

そんなわけで相変わらず、ストレスを感じたくないときはOpera9.46を使用していたりする。

2009年6月22日月曜日

Songbird1.2、その後

SOURCEFORGE.JPのニュースいわく、

ライブラリ管理、iTunesとの同期などを強化した「Songbird 1.2」がリリース
iTunesとのやりとりも改善した。「iTunes Music Store」で購入したコンテンツをSongbirdのプレイリストに反映でき、Songbirdに追加した楽曲やプレイリストをiTunesにエキスポートできる。これにより、「iPhone」「iPod touch」と容易に同期できるという。また、Last.fmのサポートも強化したほか、10バンドのエコライザーも搭載した。


──というのですこし期待して、(前回バージョン1.2をインストールした直後はダメだったが)「もしかしてもう一度試したら、iTunesStoreで購入した楽曲が再生できるかも!」と、Songbirdを起動したところ、iTunesのプレイリストとSongbirdのプレイリストをマージするかどうかを選択するダイアログが表示された。

そこでますます「もしや」と思ったが、マージしてもやはり楽曲は再生できない。それはまーそーだよなー。ガッカリ…。

2009年6月20日土曜日

Songbird 1.2公開──iTunes Store経由で入手したファイルは再生できない

Songbird 1.2が公開された。

すこし期待したのがだが、やはりダメだった。
iTunes Store経由で入手した楽曲は再生できない。

しかしもともとそうだったわけではなく、1.1.2にバージョンアップしたころからだったように思う。あるいはSongbirdの問題ではなく、同じ時期にiTunesなどになにか変更があったのかも知れない。

2009年6月18日木曜日

石原都知事の裸の王様ぶり、それを伝えるTVニュースの裸の王臣ぶり

今朝から報じられているとおり、石原都知事は、17日、ローザンヌ市内のオリンピックミュージアムで、IOCの委員を相手に、「開催計画をアピールするプレゼンテーションを行った」。

そして、他の候補地のプレゼンは見ていないが、と軽やかに自白してみせた上で、東京都の「プレゼンは緻密で完璧」と、自画自賛している。見事な裸の王様ぶりである。とてもことばを商売にする人間の発言とは思えない。

この点、前置きの「自白」も含めて淡々と報道していたNHKの朝のニュースは、その報道の無意味さ──「完璧」というのが事実であろうとなかろうと、とにかくも比較して言っているのではないのだから、当人の思い込みでしかない──は他局と争えないのだが、ある意味で適切な、意地の悪い報道をしているようにもとれる。

毎朝がこのようにして始まるといいのだが…この手のコメディを聞かされるとおもしろおかしさにちょっとは目が覚めるから。

しかしお昼のフジテレビのニュースであったか、上述の石原の自画自賛を真に受けて、「プレゼンは緻密で完璧」というのをあたかも客観的な事実であるかのように紹介、それを土台にして、しかし東京都がアピールしてきたポイントは他の都市もどうようにアピールしているもので…、などと議論をすすめてしまう。

ニュースを創る人びとがニュースに創られる(そして彼らがまたニュースを創る)、というわけ。ともかくお見事な裸の王臣ぶりで、さすがである。

2009年6月8日月曜日

紀伊国屋BookWebの書籍データはやはりちょっと…

今日、ふと思い立ち確認してみたところ、「成田竜一」は「成田龍一」に直っていた。

しかし今日書籍検索をしていてわかったが、「リュシアン フェーヴル」では何も引っかからず、「フェーヴル」でもだめで、「リュシアン・フェ-ヴル」でないと彼の書籍が抽出されない、ということがわかった。

しかもゴシック体フォントだとわかりにくいかも知れないが、「フェ-ヴル」は「ー」(長音記号)ではなく「-」(ハイフン。全角のマイナス記号)なのである。(ただしBookWebの検索システム上では長音記号と全角ハイフンは互換関係にあるようで、長音記号であらわした「リュシアン・フェーヴル」でも同じ結果になる)

そういうわけで彼の『書物の誕生』などの著作を検索するのに、まず「リュシアン」で検索して、検索結果1件目の『“ヨ-ロッパ”とは何か?』の書籍情報を表示し、そのなかの著作者情報から「フェーヴル,リュシアン【著】〈Febvre,Lucien〉」というリンク(しかもここでも表記法が違うことに注目!)をクリックして、彼の書籍一覧を得る、というようなことをしてしまった…。

ここまでひどくはないが、「エドワード・サイード」と「エドワード サイード」では検索結果が異なる。「ピエール・ブルデュー」を「ピエール ブルデュー」にすると、なぜか検索結果の件数が減少する(!)。

そういうわけで、やはり紀伊国屋BookWebの書籍データはやはりちょっと劣悪である。

2009年6月6日土曜日

麻生ロボは「-25%」パンチをだせるの?


麻生ロボ、かっこいいなー。
あのひと漫画が好きらしいし、これ見て半分よろこんでいるんじゃないかしら。

MAKE the RULEキャンペーンは、公式サイト立ち上げだけでなく、ちゃんとヴィジュアル面を重視した広報をしているのがヨイ。

2009年6月4日木曜日

天安門事件20周年──論説を「時代の趨勢」で結べる心性について

「六・四」――キャンパスに流れる“平穏” 北京大学生が感じる「特別な時間」(加藤 嘉一/日経BP)

北京大生として当時頑張った先輩たちに敬意を表したいとは思う。でも、今の俺たちには直接関係ないし、何かやろうとすれば今後のキャリアに大きく傷がつくことになる。

「特別な時間」──それは上からの統制と下からの自己検閲を背景として、そこに学生たちの「場」の変化が加わったようなものだろうか?

上の記事で引用されている学生たちの言葉から感じられるのは──もちろん当局による情報統制や歴史教育の問題が大前提としてあるはずだが──、すくなくとも言葉の上で彼らが「連帯」を示し、そこに「参加」し、そこで何らかの「達成」をめざす、その対象が、その「場」が、20年まえとはすっかり変わってしまっているのかもしれないということ。

今、(言葉の上では、というところは強調しておくべきだけど)彼らの多くが「参加」しているのは、エリートたちに用意された特別な「場」、経済的成功や官僚組織内での上昇をめぐるゲームの「場」であって、彼らの栄達は貧困や人権侵害、公害などで苦しむ人びとの中に見出されない、そういうような。

こうした状態に対して──、

このような状況下で、当局が「六・四」に関する一切の情報を封殺し、報道を徹底的に規制しようとするのは、改革開放という国策およびグローバル化という時代の趨勢に逆行している、と感ずるのは筆者だけであろうか
(…)
社会不安を事前に抑えるという観点から、情報統制を図ることは理解に難くない。
(…)
「六・四」が歴史の1ページに刻まれるには、もう少し時間が必要なのかもしれない。

──としか言えないのが、結局「日本人」なのかもしれない、とも。

こうした論説にはいかようにもツッコミを入れられると思うが、一番気になるところをあげるなら、「時代の趨勢に逆行」していると非難しながら、「もう少し時間が必要なのかもしれない」──つまり“時代の趨勢がそうさせる”(!)ということ──として結んで済ましてしまう/しまえる心性である。

このすばらしい矛盾。“現実”を説明するのに「時代の趨勢」しか、思い付くことができないのだろう。

しかし、「時代の趨勢」が何だろ言うのだろう。そんなものを論じても、学問的にも思想的にも、何も論じたことにはならないし、何も説明したことにはならないのである。それは、自分が「時代」にコミットしていないこと/コミットしたくもないことの告白でしかない。そんな告白は聞きたくない。“こんなオジサンになってはいけない”、そう思う。

そんなことより僕たちがしなくてはならないのは、中国国内や香港、あるいはまた亡命先の国々で活動を続ける人びとを、言葉の上だけででもいいから後方支援することではないのだろうか?

2009年6月1日月曜日

成田竜一ばかりではなかった

その,紀伊国屋BookWebの書籍データの誤りをもうひとつ見つけてしまった.
木島日記』の著作者名(森美夏)が抜けて,原作者名(大塚英二)だけになっている…

数日間で2件も見つけてしまった──もしかして紀伊国屋BookWebの書籍データは全体としてかなり劣悪なのではないだろうか,と考えてしまう.すくなくともAmazonの数百倍劣悪っぽい.