夕方立ち寄った三省堂書店の1階で,CourrierJaponの10月号を見つけて手に取ったところで,前号(9月号)を買っておきながら,まともに読んでいないことを思い出した.
それでもちょっとは読んでいたのだが…,家に帰っていくつかの記事を読む.しかし月刊化の前後でやはりこの雑誌はおもしろくなくなったように思う.これは意図してやっているのかなとも思うのだが,明らかに質の悪い記事を載せる.
意図して──というのはとくに「日本」,もしくは「日本文化」について語った記事においてなのだが,ジャーナリズムとして低レベルの文章というのは,たしかにある種の「参考」にはなる.だが,どうもそのような高次の記事作りをしているわけでもなさそう.
「誤解」ならまだカワイイのだが,あきらかに財界を援護し,資産家を安心させ,投資うながそうとしている意図が丸見えの「経済」ニュース──これもまたある意味では「参考」になる──にはちょっとうんざりさせられる.(ほんとうはこのような低俗なニュースに「経済」の2字を関することは,経済学界にとって迷惑なことであろう)
「国家」と「経済」──この2つの権力がからむところには,かならず問題を矮小化し,断片化し,相互連関の鎖を断ち切って,しまいには無化してしまおうとする勢力がいるものなのだろう.
「そろそろ現実(ほんとう)の話をしないか?16 エタノール悪玉説に待った!ブラジル産バイオ燃料の効率性」もそうした記事の一つ.記事の随所で,あるいは問題の焦点がぼかされ,あるいはさりげなく対象がすり替えられている.
まず食糧危機のさなかのバイオエタノール推進という先進国のおそるべき決断の全体に対する抗議は,ブラジル産エタノールへの批判というレベルに矮小化され,森林を直接に切り開くものではないとだけ断言して,エタノールの「新規栽培」のために消滅した畑や牧草地についてはいっさい言及しない.
サトウキビ由来のブラジルのエタノールと,トウモロコシ由来の米国のエタノールの効率性を比較するのに用いている数値はきわめておおざっぱで,そのおおざっぱなたった一つの指標しか提示していないのは結局著者が自分に──ひいてはこれを読む「経済人」に──都合のよい数値を用意したことを端的に語っている.
世界的な食料価格高騰問題にいたっては,ブラジル産牛肉価格の高騰という問題にすり替えられている.そして,読みようによっては現行サトウキビ・バイオエタノールの著しい効率性の悪さを指摘するかのような発言の引用もまた,「今後の可能性」をほのめかして投資を誘う.
たちが悪いのは,これにコメントを付け加える山形浩生である.「なるほど!サトウキビのバイオエタノールはそんなに効率がいいのか!」,そして「日本も…まずはこれを輸入して」いけばいいのに,だそうである.こういう「お利口さん」の口添えで安心させられる人もいるのだろう.
コメントの最後にはこうある.「それにしても…バイオエタノールまで産地の心配をしつつ使わなきゃいけないのか.面倒な話ではあるけど,…,中国産食品に目くじらたてるよりはずっと有意義なことでもある」と.
しかし,バイオエタノールと中国産食品とをくらべて,どちらが「有意義」とかいう議論はありえない.どちらも深刻で,十分に検討されるべき問題である.
しかしここでおそらくこの著者の言わんとしていることは,「中国産食品」問題について考えても要するに消費が低迷するだけだが,こうしてエコノミスト紙によってお墨付きとなったブラジル産バイオエタノールについて語るならば消費にも投資にも寄与するだろう,と,こういうことなのだろう.本当にあさましいことではある.
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